映画『来る』のネタバレ考察・解説

映画のネタバレ考察

この記事では、映画『来る』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。

映画『来る』の結末・ラスト(ネタバレ)

映画『来る』の結末ラストをネタバレありで解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『来る』の物語の結末は、人々の心の闇や恐怖を象徴する「あれ」との壮絶な戦いの中で幕を閉じます。

物語の終盤、主人公たちは「あれ」の正体を解明することはできないまま、霊媒師の比嘉琴子(キャスト名:松たか子)を中心に「あれ」と対峙します。琴子は、強力な霊能力を駆使して「あれ」に立ち向かい、最後の戦いを繰り広げます。この場面では、多くの霊媒師や関係者が協力し、全員がそれぞれの形で「あれ」の存在に挑みます。しかし、結末では「あれ」が完全に消滅したかどうか、また琴子が生き延びたのかが明確に描かれておらず、観客の想像に委ねられる形で物語が終わります。

さらにラストでは、田原家の娘である知紗(キャスト名:志田愛珠)が「オムライスの歌」を歌うシーンが印象的に描かれます。この歌詞には、純粋さと同時にどこか不気味さが含まれ、「オムライスの国に行きたいな」という言葉が死後の世界を暗示している可能性もあります。この演出は、子どもの無邪気な側面と人間が持つ心の闇を象徴しており、映画全体のテーマを締めくくる形となっています。

映画の結末は、すべての謎が解決されるわけではなく、観客に深く考えさせる余韻を残す形で終わります。人間の内面的な恐怖や後悔に焦点を当てた内容が、多くの観客にとって不気味さを感じさせる印象的なラストとなっています。

映画『来る』の考察・解説(ネタバレ)

映画『来る』に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『来る』がひどいと言われる理由は?

映画『来る』が「ひどい」と感じられる理由の一つは、俳優陣の演技やキャラクター描写に深みを感じにくい点にあります。物語全体がホラー映画としての緊張感や恐怖感を提供することを目的としているものの、その中でキャラクター同士の関係性や感情の動きが表面的であると感じる観客も多くいました。また、演出の一部が過剰で、真剣なシーンが逆にコメディのように映ってしまう場面もあります。

さらに、ストーリーの展開が複雑である一方で、一部の要素が明確に説明されないまま終わってしまう点も批判の対象となりました。観客が物語の全体像を理解しづらく感じた結果、映画の意図やテーマが伝わりにくくなっています。このような点が相まって、期待していたホラー映画としての評価が下がる結果につながっています。

映画『来る』に気まずいシーンはある?

映画『来る』には、観客によっては気まずいと感じるシーンがあります。その中でも、田原香奈(キャスト名:黒木華)と津田大吾(キャスト名:青木崇高)のラブシーンは、家族や友人と一緒に観ている場合に特に気まずさを感じる場面として挙げられることがあります。このシーンでは、不倫関係の二人が親密さを表現する描写が含まれています。

また、ホラー映画としてのグロテスクなシーンや心理的に不安定な描写も、人によっては気まずいと感じる要素となる場合があります。特に、登場人物の中での家庭内の不和や裏切りが露骨に描かれる場面は、物語の緊張感を高める一方で、観客に不快感を与える可能性があります。ただし、これらの要素は映画全体のテーマや雰囲気を作り上げるために必要なものであり、鑑賞者がどのように受け取るかによって評価が分かれる部分でもあります。

映画『来る』で琴子は最後に死んだのか?

映画『来る』のラストで、比嘉琴子(キャスト名:松たか子)が「あれ」に負けて死んだのかどうかについては、映画内では明確に描かれていません。この点は曖昧にされており、観客の解釈に委ねられています。しかし、原作では琴子が「あれ」に勝利しているため、映画でも彼女が生き残った可能性が高いと考えられます。

琴子は強力な霊能力を持つキャラクターとして描かれ、物語のクライマックスで「あれ」に立ち向かいます。彼女の強い意志や能力を考えると、最終的に生き延びたと推測することも可能です。しかし、映画では彼女がその後どうなったのか具体的には示されておらず、この不確実性が観客に考察の余地を残す仕掛けとなっています。このような結末は、映画全体の謎めいた雰囲気と一致しています。

映画『来る』の最後のオムライスの歌のネタバレは?

映画『来る』のラストで、田原知紗(キャスト名:志田愛珠)が歌う「オムライスの歌」は、物語全体のテーマに直結する重要な要素となっています。この歌詞の「オムライスの国に行きたいな」というフレーズは、一見すると子どもの無邪気な願いに聞こえますが、実際には「死後の世界に行きたい」というメッセージを暗示していると解釈することができます。

この場面は、子どもにも心の中に抱えている闇があることや、純粋さの裏側に潜む深い感情を示しているとも読み取れます。映画全体を通じて描かれる「あれ」の存在や人々の心の闇を象徴するように、オムライスの歌は知紗自身の心情や物語の結末を象徴的に表現していると言えます。この歌が流れることで、観客に強烈な印象を与えつつ、映画が示してきた人間の感情の複雑さや恐怖の本質を際立たせる形となっています。

映画『来る』に出てくる「あれの正体」は?

映画『来る』に登場する「あれ」の正体は、最後まで明確に説明されることはありません。「あれ」は、「ぼぎわん」とも呼ばれ、人の心の闇から生まれた存在であると解釈されています。この存在は、形や実体を持たない不気味なもので、人々の恐怖やトラウマを糧にして姿を現します。

また、一部では「あれ」は捨てられた子供の亡霊であるという説や、心の奥底にある後悔や罪悪感が具現化したものであると考えられています。これらの解釈は映画のテーマである「人間の内面的な闇」を反映しており、観客に恐怖を感じさせるだけでなく、深い思索を促す要素となっています。「あれ」の正体が曖昧であることにより、物語全体に謎と不気味さが漂い、観客の想像力を刺激する作りとなっています。

映画『来る』がイライラすると言われる理由は?

映画『来る』が「イライラする」と言われる理由の一つは、登場人物の行動や人間関係にあります。特に、田原秀樹(キャスト名:妻夫木聡)が子育てに協力的ではなく、家族の問題に向き合わない姿勢は観客の共感を得にくいものとなっています。さらに、田原香奈(キャスト名:黒木華)が夫に不満を抱く中で不倫に走るという展開も、観客にストレスを与える要素の一つです。

これらの描写は、現実的でありながらも不快感を覚える内容で、特に家庭の問題に敏感な観客にとってはイライラさせられる部分となっています。また、登場人物たちが「あれ」に直面しながらも効果的な対処を取れず、問題が長引く展開も、物語のテンポを遅らせる原因となり、観客のフラストレーションを増幅させています。このような要素が重なり、本作が「イライラする」と評される理由となっています。

映画『来る』が意味がわからないと言われる理由は?

映画『来る』が「意味がわからない」と言われる主な理由は、物語の中で明確に説明されない部分が多いためです。たとえば、田原秀樹(キャスト名:妻夫木聡)たちがなぜ「あれ」に狙われたのか、明確な理由が語られません。また、クライマックスで比嘉琴子(キャスト名:松たか子)が「あれ」との戦いの後どうなったのか、生死がはっきり描かれていない点も曖昧さを感じさせます。

さらに、「あれ」の正体についても具体的な説明がなく、人々の心の闇や恐怖の象徴として抽象的に描かれているため、観客によって解釈が分かれます。このように、映画全体が多くの解釈を観客に委ねているため、物語の意図や結末がはっきりしないと感じられることがあります。

加えて、登場人物たちの行動や背景が描かれる一方で、それらが完全に物語の謎解きに繋がらない点も混乱の原因です。これらの理由から、一部の観客にとっては全体の意味がつかみにくいと評価されています。

映画『来る』に出てくる霊媒師たちは本物?

映画『来る』のクライマックスで登場する大勢の霊媒師たちは、本物ではないと解釈されています。これらの霊媒師たちは、おそらく「比嘉真琴」や「比嘉琴子」など主要キャラクターと対比されるための演出であり、特定の役割や実績を示すものではありません。

霊媒師たちの中には非常にエキセントリックな行動を取る者もおり、彼らの存在が物語全体の緊張感を高める一方で、コミカルに映る場面もあります。この点が映画のリアリティを損ねると感じる観客もいますが、彼らの存在は「あれ」の恐怖をより壮大に見せるための演出意図と捉えることができます。

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この記事の編集者
影山みほ

当サイト『シネマヴィスタ』の編集長。累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家です。多数のメディア掲載実績やテレビ番組とのタイアップ実績があります。平素より映画監督、俳優、映画配給会社、映画宣伝会社などとお取引をさせていただいており、映画情報の発信および映画作品・映画イベント等の紹介やPRをさせていただいております。当サイトの他に映画メディア『MIHOシネマ』の編集長も兼任しています。

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