この記事では、映画『スプリット』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『スプリット』の結末・ラスト(ネタバレ)
映画『スプリット』のラストでは、主人公ケビン・ウェンデル・クラムの人格の一つである「ビースト」が物語の中心に立ちます。「ビースト」は他の人格を超越した超人的な力を持ち、映画のクライマックスで登場します。この人格は、ケビンが抱える深いトラウマと痛みの象徴でもあります。
物語終盤、ビーストはケビンに拉致された3人の少女を標的にし、彼女たちを「不純」な存在と見なします。しかし、その中の一人であるケイシー・クックだけは、ビーストの攻撃から逃れます。これは、ケイシーが彼女自身の過酷な過去を背負い、深い傷を抱えながらも生き延びてきた「純粋な苦痛を知る者」として認められたためです。
ケイシーはビーストから逃げるために懸命に戦いますが、最終的に彼女の幼少期のトラウマが鍵となります。ビーストはケイシーの傷跡を見て彼女の過去を悟り、攻撃をやめます。この瞬間、ケイシーはケビンの人格が持つ深い矛盾と、人間性の一端を垣間見ることになります。
その後、ビーストは姿を消し、ケイシーは救助されます。一方で、ケビンの人格たちはビーストを「神聖な存在」として崇拝し、彼の新たな支配を認めます。映画の最後には、ケビンがまだ逃亡中であることが示され、物語は彼の行方がどうなるのかを観客に想像させる形で終わります。
さらに、エンドシーンでは『アンブレイカブル』の主人公デヴィッド・ダンが登場し、『スプリット』が『アンブレイカブル』と同じ世界観で描かれていることが明らかになります。この意外な展開により、映画は単なるサイコスリラーの枠を超え、壮大なシリーズの一部として新たな可能性を示す結末となっています。
映画『スプリット』の考察・解説(ネタバレ)
映画『スプリット』に出てくる叔父ジョンはどんな人物なのかネタバレ
映画『スプリット』では、主人公の一人であるケイシー・クックの過去が物語の中で少しずつ明らかになります。その中で、彼女の叔父ジョンが非常に重要な役割を果たします。ジョンは表向きにはケイシーの保護者として振る舞っていますが、実際には彼女に対して性的虐待を繰り返していた人物です。
ジョンの行為はケイシーの幼少期に深い傷を残し、彼女の性格や行動にも影響を及ぼしています。映画の中で、ケイシーが異常な状況でも冷静に対応できるのは、幼い頃から叔父の虐待に耐え、逆境に立ち向かう力を身につけたからだと示唆されています。
クライマックスに近づくにつれ、ケイシーの過去と現在の危機が交錯し、彼女の精神的な強さが試されます。ジョンの存在は直接的には物語に絡んでいませんが、ケイシーのトラウマの象徴として、彼女が最終的に自分を乗り越えようとする動機付けの一つとなっています。この設定は、彼女が単なる被害者ではなく、逆境を乗り越える強さを持つキャラクターであることを強調しています。
映画『スプリット』で、ケビンの23の人格とは?
映画の中心人物であるケビン・ウェンデル・クラムは、解離性同一性障害を抱えた男性であり、その中に23の異なる人格を持っています。これらの人格は、ケビンの過去のトラウマや精神的な負担によって形成されたもので、各人格がそれぞれ独自の特徴を持っています。
映画で描かれる主要な人格には、潔癖症の「デニス」、社交的で陽気な「バリー」、子供のような純粋さを持つ「ヘドウィグ」、そして威圧的で支配的な「パトリシア」などが含まれます。これらの人格は、それぞれが異なる目的や性格を持ち、ケビンの行動や判断に影響を与えます。
映画ではさらに、「ビースト」と呼ばれる第24の人格が存在するとされ、これは他の人格たちが崇拝する特別な存在です。ビーストは超人的な力を持ち、映画のクライマックスで姿を現し、物語の緊張感を一気に高めます。
これらの人格が次々に現れることで、観客はケビンの内面的な葛藤や、人格同士の複雑な関係性を感じ取ることができます。また、人格の入れ替わりを見事に演じたジェームズ・マカヴォイの演技が、物語に大きな説得力を与えています。
映画『スプリット』で最後に登場したダンという人物は誰?
映画の最後に登場するデヴィッド・ダンは、本作の監督M・ナイト・シャマランが2000年に手がけた映画『アンブレイカブル』の主人公です。ダンは、普通の人間とは異なり、驚異的な強靭さを持つキャラクターで、『アンブレイカブル』では自分の力を使ってヒーローとしての役割を見つける過程が描かれました。
『スプリット』のエンディングでは、ケビンが捕まらないまま逃亡し、そのニュースがテレビで報じられます。その報道を見ているダンが「ガラスの男と呼ばれる人物がいたな」とつぶやくシーンが挿入され、観客に『アンブレイカブル』の物語が『スプリット』と繋がっていることを示唆します。
この演出によって、『スプリット』は単独の作品としてだけでなく、同じ世界観を共有するシリーズの一部であることが明かされます。この最後のシーンは、続編である『ミスター・ガラス』への布石となっており、観客にさらなる期待感を抱かせる締めくくりとなっています。
映画『スプリット』は実話を基にした作品?
映画『スプリット』は実話に基づいた作品ではありません。本作は、M・ナイト・シャマラン監督のオリジナルストーリーであり、解離性同一性障害(DID)という実在の精神疾患を題材にしてはいるものの、物語そのものは完全にフィクションです。
解離性同一性障害は、過去のトラウマやストレスによって複数の人格が形成される症状として知られています。このテーマが映画の核となっており、主人公ケビン・ウェンデル・クラムの23の人格が物語を動かす重要な要素となっています。ただし、映画に登場する「ビースト」という超人的な人格や、他の人格が物理的に人間を超えた力を発揮する描写は、完全に創作によるものです。
シャマラン監督は、この映画を通じて人間の精神の可能性や極限状態での強さを探求しようとしました。そのため、現実の解離性同一性障害の症状を基にしながらも、エンターテインメント性を高めるために多くのフィクション要素が加えられています。
本作は実話ではないものの、解離性同一性障害を持つ人々の心の葛藤や、それにまつわる社会的な関心を高めた作品として評価されています。一方で、この疾患に対する誤解を助長するという批判も一部で挙げられました。
映画『スプリット』がつまらないと言われる理由は?
映画『スプリット』が一部の視聴者に「つまらない」と言われる理由として挙げられるのは、期待値と実際の内容のギャップです。監督M・ナイト・シャマランは『シックス・センス』や『アンブレイカブル』などの斬新なアイデアや意外な展開で知られており、観客は『スプリット』にも同様の驚きを求めていました。しかし、本作はシャマラン監督作品としては比較的オーソドックスな構成であり、「大どんでん返し」や新鮮なアイデアを期待していた観客を満足させられなかったという意見があります。
また、映画の進行がやや単調に感じられるという声もあります。ケビンの23の人格という設定は非常に魅力的ですが、その全てが深く掘り下げられているわけではなく、物語の焦点が一部の人格に偏っていることが指摘されています。このため、設定自体が十分に活用されていないと感じる人もいました。
さらに、物語の主軸であるケイシーとケビンの対決に関する部分が弱いと感じる人もいました。一部の観客は、クライマックスでの「ビースト」の登場が唐突であり、他の人格との関連性が薄いため、物語全体としての整合性が欠けていると感じたようです。
ただし、これらは観客それぞれの期待値や好みによるものであり、本作を高く評価する人も少なくありません。ジェームズ・マカヴォイの演技や、心理スリラーとしての緊張感を楽しめる人には強く支持されている作品でもあります。
映画『スプリット』の続編『ミスター・ガラス』はどんな作品?
映画『スプリット』の続編である『ミスター・ガラス』は、M・ナイト・シャマラン監督による2000年の映画『アンブレイカブル』、そして『スプリット』と繋がるクロスオーバー作品です。この映画は3人の主要キャラクターが共演する物語であり、シャマラン監督が長年温めていた「イーストレイル177三部作」の完結編にあたります。
『ミスター・ガラス』では、『アンブレイカブル』の主人公であるデヴィッド・ダン、彼の宿敵であるミスター・ガラス(イライジャ・プライス)、そして『スプリット』のケビン・ウェンデル・クラム(ビースト)が対峙します。物語は、これら3人が収容施設に監禁され、それぞれの能力や精神状態を研究する医師とのやり取りを軸に進みます。
映画は、スーパーヒーローとヴィランの概念を独自の視点から描き、現実世界で超人的な力を持つ人々がどのように受け入れられるのかを探求しています。特に、イライジャが自らを「ミスター・ガラス」と名乗り、物語の背後で重要な計画を進める様子が大きな見どころです。
『ミスター・ガラス』は、シャマラン監督らしい意外な展開と独特の世界観を持つ作品であり、シリーズ全体を締めくくる重要な位置付けとなっています。本作を観ることで、『スプリット』や『アンブレイカブル』の物語に新たな視点を加えることができる仕組みになっています。
映画『スプリット』でダンという人物が登場した最後の意味は?
映画『スプリット』のラストで登場するデヴィッド・ダンという人物は、M・ナイト・シャマラン監督の2000年の映画『アンブレイカブル』の主人公です。このシーンは、物語の驚きの締めくくりであり、『スプリット』が『アンブレイカブル』の世界観と繋がっていることを示唆する重要な要素となっています。
ラストでは、ケビン(ビースト)が逃亡した後、ニュース番組でその事件が報じられる場面が描かれます。そこで居酒屋にいるデヴィッド・ダンが他の客から「この男をどこかで見たことがある」という話を聞き、「ガラスの男と呼ばれる人物がいた」と応じます。この「ガラスの男」とは、『アンブレイカブル』に登場するヴィランであるイライジャ・プライス(ミスター・ガラス)を指しています。
このシーンの意図は、『スプリット』が単独の映画ではなく、『アンブレイカブル』と繋がるシリーズの一部であることを明確にすることにあります。この驚きの展開は、シャマラン監督がこれらの映画を一つのユニバースに結び付け、さらなる物語の可能性を示唆するものでした。
結果的に、このラストシーンは、続編である『ミスター・ガラス』への橋渡しとなり、デヴィッド・ダンが再び登場してケビン(ビースト)やイライジャと対決する展開へと繋がります。この大胆なクロスオーバーの演出により、『スプリット』はただの心理スリラーではなく、独特のヒーロー/ヴィラン世界の一部として新たな価値を加えました。
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