この記事では、映画『その男、凶暴につき』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『その男、凶暴につき』の結末・ラスト(ネタバレ)
映画『その男、凶暴につき』のラストは、主人公・我妻(渡辺謙)が自らの暴力性に完全に飲み込まれ、破滅へと向かっていく悲劇的な結末です。物語は、我妻が刑事として法を守る役割を持ちながらも、次第に暴力に頼りすぎ、法を無視するような手段に走るところから始まります。彼は、犯罪者を取り締まるために、時には法を超えた手段を使い、その結果として周囲の人々や自分自身にも大きな犠牲をもたらしてしまいます。
物語の終盤、我妻は妹の灯を自らの暴力によって殺してしまいます。彼は妹を守るべき存在としていたにもかかわらず、自分の暴力性を抑えきれずに、感情が爆発してしまったのです。この出来事が我妻にとって決定的な破滅のきっかけとなり、彼は完全に道を見失います。我妻は自分の暴力がもはや誰にも止められないことを悟り、さらに深い絶望に陥っていきます。
ラストシーンでは、我妻は自らも追い詰められ、最終的には自分自身を破滅に導いてしまいます。彼の行動は、もはや犯罪者を取り締まるためではなく、暴力そのものに支配されるようになり、その結果として彼は自分自身をも破壊する結末を迎えます。このラストは、我妻が暴力に依存した生き方の果てに、誰も救われない状況を招いてしまったことを象徴しています。
また、映画の最後に映し出される女性がパソコンを打っているシーンは、現代社会の冷酷さを示していると解釈されます。このシーンは、我妻のような人間がどれほど暴力的であっても、社会全体としては何事もなかったかのように冷静に物事が処理されていくことを象徴しています。彼の暴力的な行動も、最終的には社会の中で記録され、ただのデータとして扱われていくという無機質な現実が描かれています。
映画の結末は、暴力とそれに飲み込まれた人間の運命を描いたものです。我妻の破滅は、彼が自ら選んだ道の結果であり、その結果として彼は自分の人生だけでなく、周囲の人々の人生にも多大な影響を与えました。この結末は、暴力がどれほどの代償を伴うかを強く訴えかけるものであり、観客に深い余韻を残します。
映画『その男、凶暴につき』の考察・解説(ネタバレ)
映画『その男、凶暴につき』のラストに映る女性の意味とは?
映画『その男、凶暴につき』のラストシーンで、女性がパソコンを打っている姿が映し出されるシーンは、非常に象徴的であり、観客にさまざまな解釈を促します。このシーンは、物語の中で主人公・我妻(渡辺謙)が抱える暴力性や、その暴力を取り巻く社会の無関心さを強調していると考えられます。女性がパソコンに向かって作業をしている様子は、無機質で感情のない場面として描かれ、映画全体を通して描かれてきた暴力や犯罪の現実が、淡々と日常に吸収されていくことを示唆しているのです。
このラストシーンは、映画のメッセージとして、暴力が日常的に存在し、誰もが無関心に過ごしてしまう社会の冷淡さを表現しているとも言えます。女性が行っているパソコンの作業自体が、現代社会における「仕事」や「情報」の象徴であり、暴力や犯罪が一部のニュースやデータとして消費され、深く考えられずに次々と処理されていく様子を暗示していると解釈できます。
つまり、このシーンは、映画の暴力的な世界と、現代社会がそれをどのように受け止めているのかを対比しているとも言えます。観客にとって、このラストは我妻の暴力性が終わらないことを示唆しつつ、無機質な社会の中で暴力が消費される状況を暗に批判しているのです。
映画『その男、凶暴につき』で、我妻はなぜ妹の灯を殺した?
映画『その男、凶暴につき』で、主人公の我妻が妹の灯を殺してしまうシーンは、物語の中でも非常にショッキングで、重要な転機となります。我妻が灯を殺した理由は、彼の暴力性が制御不能に陥り、最終的には自分自身の感情をコントロールできなくなってしまったことが原因です。
我妻は、刑事として数々の犯罪者を相手にする中で、次第に暴力的な手段に依存し、法を守る者としての自制心を失っていきます。彼の暴力的な衝動は、彼自身のストレスや抑圧された感情が積み重なって噴出したものであり、それが最も身近にいる灯に向かってしまったのです。我妻にとって灯は家族であり、本来は守るべき存在ですが、彼の暴力性が極限に達したとき、その暴力の対象が妹に向けられてしまいました。
また、灯が物語を通じて抱えていた苦悩や、我妻との関係が緊張感を持って描かれており、彼女自身も兄の暴力性に対して恐怖や不安を抱いていたことが示唆されています。この緊張が最終的に悲劇的な結果を招き、我妻は自らの手で妹を殺してしまうという、取り返しのつかない行為に至ったのです。この出来事は、我妻の暴力がいかに無差別で破壊的であるかを象徴し、彼の人生を完全に崩壊させる瞬間でもあります。
映画『その男、凶暴につき』で、我妻の相棒・菊池はなぜ麻薬の横流しに同意する?
映画『その男、凶暴につき』に登場する菊池は、主人公・我妻の相棒であり、彼と共に捜査を進める刑事です。菊池が麻薬の横流しに同意する理由は、彼自身が抱えている腐敗や絶望、そして現実に対する諦めの表れです。警察という組織に属しながらも、彼はその内部の腐敗や無力さを感じており、次第に正義を貫くことへの信念を失っていきます。
映画の中で描かれる警察組織は、腐敗や不正が横行しており、正義を守ろうとする者たちも次第にその流れに飲み込まれてしまう様子が描かれています。菊池もまた、その一員であり、警察の世界で生きていく中で、自分の信念を失ってしまったのです。彼は、理想と現実のギャップに苦しむ中で、麻薬の横流しという不正行為に手を染めることで、自分自身の生き残りを図ろうとします。
また、菊池は我妻の相棒として彼の暴力性や手法に影響を受けている部分もあり、彼自身も次第に倫理的な線を超えるようになっていきます。麻薬の横流しに同意することで、彼は組織の中での立場を守り、自分の利益を優先するという選択をしたのです。この行為は、菊池が警察内部の腐敗に完全に染まってしまったことを象徴しており、彼がもはや正義を貫くことができなくなったことを示しています。
映画『その男、凶暴につき』には、元ネタになった映画がある?
映画『その男、凶暴につき』は、北野武監督の初監督作品であり、その斬新な演出と暴力的な描写で注目されました。この作品に特定の「元ネタ」になった映画はありませんが、映画のスタイルやテーマには、1970年代から1980年代にかけての日本のアクション映画や、ハードボイルドな刑事ドラマの影響が感じられます。
特に、日本映画史における「実録犯罪映画」や「ヤクザ映画」の要素が強く影響を与えていると考えられます。これらの映画では、暴力的な描写や、法の外で行動する登場人物が描かれ、現実の犯罪に基づいたストーリーが展開されることが多いです。北野武監督も、そうした映画の影響を受けながら、独自のスタイルを確立していきました。
さらに、ハリウッドのフィルム・ノワール作品や、フランスのジャン=ピエール・メルヴィル監督の作品なども、映画全体のトーンや映像表現に影響を与えていると言えます。これらの映画は、冷たい視点で暴力や犯罪を描き、人間の感情や道徳観をテーマにしています。『その男、凶暴につき』もまた、そうした作品群に影響を受けつつ、独自の暴力美学とキャラクター描写を融合させた作品として評価されています。
最終的に、『その男、凶暴につき』は、特定の元ネタがあるというよりも、様々なジャンルや映画の影響を受けながら、北野武が新たな暴力映画のスタイルを確立した作品と言えます。
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