この記事では、映画『魔女の宅急便(1989)』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『魔女の宅急便(1989)』の結末・ラスト(ネタバレ)
物語の終盤、キキは突然魔法が使えなくなり、ほうきで飛ぶことができなくなってしまう。さらに、黒猫のジジとも会話ができなくなり、これまで普通に使えていた魔法が消えてしまったことで、大きな不安を感じる。
そんな中、街で友達になったトンボが、飛行船の事故に巻き込まれてしまう。飛行船が暴風に煽られ、トンボがロープにぶら下がったまま宙に浮かんでしまうという危機的状況に。街の人々が心配そうに見守る中、キキは彼を助けようと決意する。
キキは急いで近くにあったデッキブラシを手に取り、必死に空を飛ぼうとする。最初はなかなかうまくいかなかったが、トンボを助けたいという強い想いがキキの力となり、ついに魔法を取り戻して空へ飛び立つことに成功する。
キキは飛行船のロープにぶら下がるトンボを追いかけ、ギリギリのところで彼の手をつかみ、無事に助け出すことができた。街の人々は大歓声を上げ、キキは再び自信を取り戻す。
その後、キキは手紙を書き、「まだ完全には魔法が元に戻っていないけれど、少しずつ前に進んでいる」と語る。ジジとは最後まで会話ができないままだが、それも成長の証として描かれる。物語のラストでは、キキが自分の新しい生活に馴染み、自立した魔女として成長していく姿が描かれる。
映画『魔女の宅急便(1989)』の考察・解説(ネタバレ)
映画『魔女の宅急便(1989)』でキキが飛べなくなった理由とは?
キキが飛べなくなった理由は、彼女の成長過程における心理的な変化によるものと考えられる。
キキは13歳の魔女見習いとして、新しい街で自立しようと努力していたが、次第に自分の仕事や人間関係について悩むようになる。特に、トンボとの交流を通じて異性を意識し始めたことや、街の人々との関係に戸惑いを感じたことが影響している。これらの心の変化が、彼女の魔法の力に影響を及ぼし、ほうきで空を飛ぶことができなくなってしまった。
また、魔女の力が成長と共に変化するものだとすれば、一時的に魔法を失うことは「大人になるための試練」とも解釈できる。物語の終盤、キキはトンボを助けるために強い決意を持ち、その結果として再び空を飛ぶことができるようになる。このことからも、キキが魔法を取り戻す鍵は、彼女自身の心の成長と自己肯定にあったと言える。
映画『魔女の宅急便(1989)』でキキの魔法が使えなくなったのは生理が理由?
キキの魔法が使えなくなった理由が「生理によるもの」という説は、宮崎駿監督の発言からも一定の信憑性があると考えられる。
宮崎監督はインタビューで「魔法を失うことは、少女が思春期を迎えたことの象徴」と語っており、身体的・精神的な成長が魔法に影響を与えると示唆している。思春期には、子供の頃には持っていた無邪気さや純粋な感覚が変化し、社会との関わりの中で戸惑いや不安を抱くことがある。キキが魔法を使えなくなったのは、このような心と体の変化を象徴していると考えられる。
ただし、映画の中で「生理」という言葉は一切登場せず、キキの魔法が戻る過程も「精神的な成長」によるものであるため、「生理が直接の原因」と断定することは難しい。あくまで、思春期特有の変化の一環として、魔法が使えなくなる現象が描かれたと考えるのが自然だろう。
映画『魔女の宅急便(1989)』でキキが住んでいる街のモデルの街はどこか?
キキが住んでいる街「コリコ」のモデルとなったのは、スウェーデンのストックホルムと、ゴットランド島の都市ヴィスビーである。
制作にあたって、宮崎駿監督とスタジオジブリのスタッフは、北欧の街並みを取材した。特に、ストックホルムの古い町並みや運河が、映画の背景デザインに大きな影響を与えたと言われている。一方、ヴィスビーは石畳の道や赤い屋根の建物が特徴的で、映画のコリコの街並みの雰囲気にそのまま反映されている。
また、コリコの街にはヨーロッパ各地の都市の要素も取り入れられており、地中海沿岸の風景を思わせる部分も見られる。宮崎監督は、特定の都市を完全に再現するのではなく、「誰もが憧れる理想のヨーロッパの街」を作り上げることを意識してデザインしたと語っている。そのため、コリコの街は、実在するどの都市とも完全には一致しないが、北欧や西ヨーロッパの美しい町並みを融合させた、独自の世界観を持つ街となっている。
映画『魔女の宅急便(1989)』に原作の作者が激怒しているのは本当か?
映画『魔女の宅急便』の原作者である角野栄子が、映画の内容に激怒したという噂があるが、これは誤解であり、事実ではない。
この噂が広まった背景には、映画が原作とは異なる要素を多く取り入れたことがある。特に、原作ではキキとトンボの関係があくまで友達として描かれているのに対し、映画では恋愛要素が強調されている点や、ジジの言葉が最後までわからなくなる設定の違いがある。そのため、一部の人が「原作者はこの改変に怒ったのではないか」と憶測し、それが広まったと考えられる。
しかし、実際には角野栄子は映画を気に入っており、「とても楽しく観た」と語っている。彼女は映画を別の作品として捉えており、「ジブリのキキも素敵なものになった」と肯定的な意見を述べている。そのため、「原作の作者が激怒した」という話は完全な誤解であり、むしろ映画の成功を喜んでいたのが真実である。
映画『魔女の宅急便(1989)』と原作の違いは何か?
映画『魔女の宅急便』は、原作小説を基にしているが、いくつかの大きな違いがある。
1つ目の大きな違いはキキとトンボの関係である。原作では、キキとトンボは友達としての関係が強く、恋愛感情が描かれることはほとんどない。しかし、映画ではキキがトンボに対して複雑な感情を抱く場面が多く、より恋愛要素が強調されている。
2つ目はジジの言葉の扱いである。原作では、キキは最後までジジの言葉を理解することができるが、映画では途中からジジの言葉がわからなくなり、最終的にも戻らない。この変更については、「キキの成長の象徴」として解釈されることが多く、「魔法の世界との決別」とも考えられている。
3つ目はストーリーの展開である。映画では、トンボを助けるためにキキが再び魔法を取り戻す場面がクライマックスになっているが、原作にはこのような展開はなく、全体的に日常的なエピソードが中心となっている。そのため、映画はよりドラマティックな展開を持たせるために独自の要素を加えている。
このように、映画と原作にはいくつかの違いがあるが、どちらも魅力的な作品であり、それぞれの良さがあると言える。
映画『魔女の宅急便(1989)』にまつわる都市伝説とは?
『魔女の宅急便』には、いくつかの都市伝説が存在する。その中でも特に有名なのが、「キキが魔法を使えなくなった理由」に関するものと、「宮崎駿監督が映画に登場している」という噂である。
1. キキが魔法を使えなくなった理由
映画では、キキが飛べなくなる理由について明確には説明されていないが、「思春期による成長の変化」や「初潮が関係している」という説がある。宮崎監督自身も「少女が成長する過程での心と体の変化を描いた」と語っており、この解釈が都市伝説として広まった。しかし、具体的に「生理が原因」と明言されているわけではなく、あくまで観客の解釈に委ねられている。
2. 宮崎駿監督が映画に登場している?
もう一つの都市伝説は、「宮崎駿監督が映画の中に隠れキャラクターとして登場している」というものだ。これは、劇中の背景に描かれた一人の老人の姿が宮崎監督に似ているため生まれた噂である。しかし、スタジオジブリ側から正式な発表はなく、単なる偶然の一致か、遊び心によるものと考えられている。
このように、『魔女の宅急便』にはさまざまな都市伝説が存在するが、どれも作品の奥深さを感じさせるものとなっている。
映画『魔女の宅急便(1989)』のウルスラの正体とは何か?
ウルスラ(演:高山みなみ)は、森の中の小屋で絵を描いて暮らす画家の女性であり、キキと親しくなる人物の一人である。彼女の正体については、「未来のキキではないか?」という説が存在する。
この説が生まれた理由の一つは、ウルスラの外見がキキと似ていることだ。黒い髪を短く切り、赤いリボンをつけている点が共通しており、大人になったキキの姿を想像させる。また、声優がキキと同じ高山みなみであることも、ウルスラが未来のキキであるという解釈を助長している。
さらに、ウルスラは「創作のスランプ」についてキキに語るシーンがあり、これはキキが魔法を失ったことと重なる。ウルスラは「スランプのときは無理に描こうとせず、自然に任せることが大切」とアドバイスし、キキの心を落ち着かせる。この経験は、キキが自分を見つめ直し、再び飛ぶ力を取り戻す重要なきっかけとなる。
ただし、ウルスラが未来のキキであるという設定は公式には明言されていない。そのため、彼女は「人生の先輩として、キキに道を示す存在」であると考えられるのが一般的な解釈である。それでも、ウルスラがキキの未来の姿であるという説は、ファンの間で根強く語られ続けている興味深い考察の一つである。
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