映画『春の雪』のネタバレ考察・解説

映画のネタバレ考察

この記事では、映画『春の雪』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。

映画『春の雪』の結末・ラスト(ネタバレ)

映画『春の雪』の結末ラストをネタバレありで解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『春の雪』の結末は、主人公・松枝清顕(演:妻夫木聡)が自らの行動の結果として悲劇を迎え、愛する人と結ばれないまま命を落とすというものになっている。

物語の終盤、清顕は幼い頃から想い合っていた綾倉聡子(演:竹内結子)と結ばれるが、彼の優柔不断な態度と家の圧力によって、二人の未来は閉ざされてしまう。聡子は他の男性と婚約するが、清顕は彼女を取り戻そうとする。しかし、時すでに遅く、彼の行動は結果的に聡子の立場をさらに追い詰めることになる。

やがて、聡子は清顕の子を宿すが、その事実が公になる前に彼女は堕胎を強いられ、最終的には出家し、尼となる。一方、清顕は病に倒れ、彼女と再び会うことなく命を落とす。

ラストシーンでは、雪が降り積もる中、清顕が静かに息を引き取る様子が描かれる。彼の人生は、愛を求めながらも自己中心的な行動によって自ら破滅へと向かうものだった。そして、聡子は仏門に入り、清顕の存在すら振り返ることなく生きていく。

この結末は、運命の残酷さと人間の未熟さを描いたものであり、二人の恋は決して報われることのないまま幕を閉じる。

映画『春の雪』の考察・解説(ネタバレ)

映画『春の雪』に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『春の雪』は二・二六事件がモデル作品か?

映画『春の雪』は、三島由紀夫の同名小説を原作とした作品であり、二・二六事件をモデルにした作品ではない。

二・二六事件は、1936年に日本で実際に起こったクーデター未遂事件であり、青年将校たちが政治的な改革を求めて武装蜂起した出来事である。一方、『春の雪』は、明治末期から大正時代を舞台にした貴族社会の恋愛物語であり、政治的な事件とは関係がない。

ただし、三島由紀夫は二・二六事件を題材にした小説『奔馬』を『春の雪』の続編として執筆しており、二・二六事件自体が三島の文学において重要なテーマであったことは確かである。しかし、『春の雪』に関しては、純粋な恋愛と運命を描いた作品であり、政治的な要素はほとんど含まれていない。

映画『春の雪』はこじらせ映画?

『春の雪』は、主人公・清顕(演:妻夫木聡)が自己中心的な性格のために恋愛をこじらせ、自ら悲劇を招く展開が特徴的な作品である。そのため、一部の観客から「こじらせ映画」と評されることがある。

清顕と聡子(演:竹内結子)はお互いに惹かれ合っていたにもかかわらず、清顕が自分の気持ちに素直になれず、わざと聡子を遠ざけたり嫉妬心を煽ったりすることで、二人の関係は徐々に歪んでいく。最終的に聡子は他の男性と婚約し、清顕はその事実を知ってからようやく彼女を手に入れようとするが、時すでに遅く、二人は結ばれることのない運命を辿る。

清顕の未熟さと身勝手な行動が、純愛を自ら破壊していく構造になっており、「こじらせ映画」と言われる理由となっている。観る人によっては、彼の振る舞いに苛立ちを覚えながらも、愛の儚さや運命の残酷さを感じる作品でもある。

映画『春の雪』の聡子の最後は?

『春の雪』の終盤で、聡子(演:竹内結子)は清顕(演:妻夫木聡)の子を身ごもるが、最終的にその子を堕胎し、出家して尼となる。

物語の中で、聡子は婚約者との結婚を破棄し、清顕と一夜を共にする。しかし、その後、清顕の体調が悪化し、彼が死の影に怯えるようになる。一方で、聡子の妊娠が発覚し、彼女は世間の圧力によって子供を堕胎せざるを得なくなる。

その後、彼女はすべてを捨て、仏門に入り尼として生きる道を選ぶ。清顕が死にゆく中で、彼女は彼と再会することなく、仏の道へ進むことになる。この結末は、二人の愛が成就しないまま、それぞれが別々の運命を歩むことを象徴しており、悲劇的な余韻を残すものとなっている。

映画『春の雪』はなぜ人気?

映画『春の雪』が人気の理由の一つは、原作が三島由紀夫の代表作の一つであり、日本文学の名作として広く知られている点にある。三島の美しい文体と、儚くも残酷な恋愛描写が映像化され、多くの観客の関心を引いた。

また、単なる恋愛映画ではなく、仏教思想や輪廻転生の要素が含まれている点も魅力の一つである。清顕(演:妻夫木聡)と聡子(演:竹内結子)の恋愛が、単純なロマンスではなく、運命に翻弄されながらも互いに惹かれ合うという悲劇的な構造を持つため、観る者の心を強く揺さぶる。

さらに、脇役陣も個性的で、物語に深みを与えている。清顕の親友であり、彼の人生を客観的に見つめる本多(演:高岡蒼佑)の存在は、映画のテーマをより際立たせる。また、美しい映像美や、時代背景を忠実に再現した衣装やセットも、高い評価を受けている。こうした要素が組み合わさることで、『春の雪』は単なる恋愛映画を超えた作品として、多くの観客の心に残るものとなっている。

映画『春の雪』は輪廻転生を描いている?

『春の雪』の原作小説は、四部作『豊饒の海』の第一部であり、シリーズ全体では輪廻転生が重要なテーマとなっている。しかし、映画『春の雪』はこの第一部のみを映像化しているため、輪廻転生の要素はほとんど描かれていない。

小説の続編では、主人公・清顕の生まれ変わりとされる人物が登場し、彼の魂が別の人生を歩んでいることが示唆される。しかし、映画版ではこの続きが描かれないため、観客には「男女の悲恋」の物語として受け止められることが多い。

とはいえ、清顕の死や聡子の出家など、輪廻を示唆する要素は作品内に散りばめられている。特に、清顕の死に際して彼が「また会おう」とつぶやくシーンは、来世での再会をほのめかすものとも解釈できる。輪廻転生の思想そのものが前面に出るわけではないが、仏教的な死生観が作品の根底に流れていることは確かである。

映画『春の雪』のラストに出てくる聡子は記憶を失っている?

映画版『春の雪』では描かれていないが、原作小説『豊饒の海』の最終巻『天人五衰』では、尼になった聡子を成長した本多(演:高岡蒼佑)が訪ねるシーンがある。本多は清顕の記憶を確かめるために聡子に質問するが、彼女は「知らない」と答える。

この「知らない」という言葉の意味については、さまざまな解釈がある。聡子が本当に記憶を失っているのか、それとも過去を捨てるために嘘をついているのかは明確にされていない。しかし、映画ではこの続きが描かれないため、観客には判断を委ねられる形となっている。

原作では、輪廻転生をテーマとしながらも、最後に本多が「何もなかった」と気づくという衝撃的な結末を迎える。これにより、「魂の転生」という概念自体が本当に存在するのかどうかすら疑問を抱かせる終わり方となる。映画ではこの要素が省略されているため、聡子の記憶の有無については、映画だけでは明確にはわからないままとなっている。

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この記事の編集者
影山みほ

当サイト『シネマヴィスタ』の編集長。累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家です。多数のメディア掲載実績やテレビ局の映画番組とのタイアップ実績があります。平素より映画監督、俳優、映画配給会社、映画宣伝会社などとお取引をさせていただいており、映画情報の発信および映画作品・映画イベント等の紹介やPRをさせていただいております。当サイトの他に映画メディア『MIHOシネマ』の編集長も兼任しています。

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