映画『記憶にございません!』のネタバレ考察・解説

映画のネタバレ考察

この記事では、映画『記憶にございません!』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。

映画『記憶にございません!』の結末・ラスト(ネタバレ)

映画『記憶にございません!』の結末ラストをネタバレありで解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『記憶にございません!』の結末では、黒田啓介総理が記憶を取り戻しながらも、新たな政治家として生きることを決意する。

物語の終盤、黒田は官邸料理人の寿賀(斉藤由貴)にフライパンで頭を殴られ、その衝撃で記憶が戻る。しかし、以前の強引で国民から嫌われていた自分と、記憶を失った後に変わった自分の違いに気づく。彼は「過去の自分には戻りたくない」と思い、しばらくの間は記憶が戻っていないふりをする。

一方で、秘書官の番場(小池栄子)や与党幹部たちは、黒田が記憶を失ったことで政治の方向性が変わり、自分たちに不都合な存在になってしまったと考える。彼らは黒田を総理の座から引きずり下ろそうと画策するが、黒田はそれを見抜き、国民のために働く政治家として新たな道を歩む決意を固める。

最終的に、黒田は「これからは誠実な政治を行う」と誓い、国民に向けたスピーチを行う。その言葉はかつての彼とは違い、本心からのものだった。ラストシーンでは、黒田が新たな政治の道を歩み始める姿が描かれ、物語はユーモラスでありながらも希望を感じさせる結末となる。

映画『記憶にございません!』の考察・解説(ネタバレ)

映画『記憶にございません!』に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。この先、ネタバレが書かれているためご注意ください。

映画『記憶にございません!』が「ひどい」と言われている理由とは何か?

『記憶にございません!』は、コメディ要素の強い作品として人気を集めたが、一部の視聴者からは「ひどい」との評価も受けている。その理由のひとつに、ストーリー展開や演出がチープだと感じる人がいたことが挙げられる。

物語の中心となるのは、記憶喪失になった総理大臣が自身の過去の悪行を知り、善人になろうと奮闘するという設定だ。しかし、この展開があまりにも都合が良すぎると感じる人が多く、「リアリティに欠ける」「ご都合主義的な展開」との指摘があった。

また、政治をテーマにしているものの、深い社会風刺がない点も賛否が分かれる要因となった。コメディ要素が強すぎるため、政治劇としての面白さを期待していた人には物足りなかったようだ。さらに、ギャグや演出がややベタで、「昭和的なコメディのノリが合わない」と感じる人もいた。

こうした点から、一部の視聴者には「ひどい」と評価されることもあったが、娯楽映画としては楽しめるという声も多い。

映画『記憶にございません!』の隠れキャストは誰なのか?

本作には、多くの豪華キャストが出演しているが、隠れキャストとして意外な人物が登場している。

まず、総理大臣・黒田啓介(中井貴一)の妻・聡子(石田ゆり子)の兄役を演じていたのはROLLYである。ROLLYはミュージシャンとして有名だが、本作では強烈なキャラクターの鰐淵影虎として出演し、独特な存在感を放っている。

また、アメリカ大統領・スーザン・セントジェーム・ナリカワ役として木村佳乃が出演している。このキャラクターは、日本とアメリカの外交に関わる重要人物であり、物語の中でも印象的なシーンを持つ。

さらに、通訳のジェット・和田役には宮澤エマが出演している。宮澤エマは、女優としてだけでなくバイリンガルとしても活躍しており、本作でもその語学力を活かした役どころとなっている。

こうした隠れキャストたちが、映画に個性的な色を加え、観客に驚きを与えた。

映画『記憶にございません!』の総理大臣のモデルは誰?

本作に登場する総理大臣・黒田啓介(中井貴一)には、特定のモデルとなった実在の人物はいないとされている。

映画の脚本を手がけた三谷幸喜監督は、特定の政治家を直接モデルにしたわけではなく、あくまでフィクションとして本作を制作したと語っている。しかし、劇中で総理大臣が「記憶にございません!」と連発するシーンがあり、これは過去の日本の政治家たちが国会で使った発言を連想させることから、現実の政治とリンクしていると感じる視聴者も多かった。

また、黒田総理のキャラクターは、かつて国民から嫌われていたが、記憶喪失をきっかけに好かれるようになるという展開であり、日本の政治家に対する皮肉が込められているとも解釈できる。

そのため、本作は特定の政治家をモデルにしているわけではないが、現実の政治を風刺する要素が含まれていると考えられる。

映画『記憶にございません!』で天海祐希はどこに出演していたのか?

天海祐希は主人公が入った定食屋のテレビの中に登場している。

本作の中盤、記憶喪失になった黒田啓介(中井貴一)が定食屋に入るシーンがある。その店内に設置されたテレビには**ドラマ「女西郷」**が映し出されており、そこに天海祐希が出演している。この「女西郷」は架空の時代劇ドラマであり、天海祐希がその主役を演じているという設定になっている。

この登場シーンは非常に短く、見逃しやすいため、初見では気づかない視聴者も多い。しかし、天海祐希の存在感は強く、「まさかこんな形で出演しているとは!」と驚くファンも多かった。

天海祐希は三谷幸喜作品にたびたび出演しているため、こうしたサプライズ的なカメオ出演はファンにとって嬉しい要素となった。

映画『記憶にございません!』の元ネタは何なのか?

本作のタイトルにもなっている**「記憶にございません」**というフレーズは、過去に日本の政治家が使った発言をもじったものだとされている。

特に有名なのは、小佐野賢治氏(元ロッキード事件の関係者)が記者会見で発言した「記憶にございません」である。このフレーズは、その後の日本の政治史において、不祥事に関わる政治家が責任を回避するための言い訳として使われることが多くなった。

また、これ以外にも、歴代の日本の政治家が国会答弁などで「記憶にありません」「覚えていません」といった発言を繰り返したことがあり、それらの皮肉を込めて本作のタイトルがつけられたと考えられる。

しかし、三谷幸喜監督は特定の政治家をモデルにしたわけではなく、あくまでフィクションとして政治コメディを作ったと説明している。そのため、本作は現実の政治とリンクする部分はあるものの、特定の出来事や人物を題材にした作品ではない。

映画『記憶にございません!』で総理大臣の息子を演じたのは誰?

総理大臣・黒田啓介(中井貴一)の息子・黒田篤彦を演じたのは濱田龍臣である。

黒田篤彦は、黒田総理が記憶を失ったことで生じる家庭内の混乱に巻き込まれる役どころであり、父親との関係にも複雑な感情を抱いている。特に、総理としての父を尊敬できないながらも、彼が記憶を失った後に変わっていく姿に戸惑いながら成長する様子が描かれている。

濱田龍臣は、かつて子役として『ウルトラマンジード』の主人公などを務め、その後も数々の映画やドラマで活躍している俳優である。本作では、総理大臣の息子という難しい役柄を演じながら、家族としての葛藤や成長をリアルに表現し、物語に深みを加えている。

映画『記憶にございません!』でローリーはどこに出演していたのか?

ROLLYは黒田総理の妻・聡子(石田ゆり子)の兄である鰐淵影虎役として出演している。

鰐淵影虎は、見た目も個性的で強烈なキャラクターであり、登場シーンは短いものの、ROLLYらしい独特な雰囲気を放つキャラクターとして話題になった。特に、彼の風貌や仕草が強烈なインパクトを与え、「あれはROLLYだったのか!」と後で気づく視聴者も多かった。

ROLLYはミュージシャンとしての活動が有名だが、俳優としてもユニークな役柄を演じることがあり、本作でもその個性が存分に発揮されている。隠れキャストの一人として、ROLLYの登場シーンを見つけるのも本作の楽しみのひとつである。

映画『記憶にございません!』で主人公はいつ記憶が戻ったのか?

黒田総理の記憶が戻ったのは、官邸料理人の寿賀さん(斉藤由貴)にフライパンで殴られたシーンではないかと言われている。

物語の終盤、寿賀が黒田をフライパンで強く叩く場面がある。その直後、黒田は何かを思い出したような表情を浮かべ、徐々に記憶が回復していく。このことから、フライパンの衝撃が記憶を取り戻すきっかけになった可能性が高いと考えられる。

ただし、黒田は記憶を取り戻しても、それをすぐに周囲に伝えず、しばらくの間は「記憶喪失のふり」を続けていたようにも見える。これは、以前の自分とは異なる新しい生き方を選択するための決断であり、過去の悪い政治家としての自分ではなく、新たなスタートを切るための演出とも取れる。

最終的に、彼は記憶が戻ったことを認め、以前の自分とは違う政治家として再出発する。記憶喪失が単なるギャグ要素ではなく、彼の人間性を変えるきっかけになった点が、本作の大きなテーマとも言える。

映画『記憶にございません!』に特定の政治家との関連はあるのか?

本作は特定の政治家をモデルにした作品ではないとされているが、「記憶にございません」というフレーズには元ネタがある。

この言葉は、1970年代に起きたロッキード事件で小佐野賢治氏が発言したものが起源とされており、のちに日本の政治家たちが国会答弁や記者会見で責任逃れをする際に多用する言葉として有名になった。特に、スキャンダルに巻き込まれた政治家が「記憶にありません」と答弁する場面は、日本のニュースでもたびたび見られたため、本作のタイトルはその皮肉を込めたものだと考えられる。

ただし、三谷幸喜監督は「特定の政治家をモデルにしたわけではない」と明言しており、本作はフィクションであることを強調している。実際の政治に対する直接的な風刺ではなく、コメディ映画として楽しめる作品になっている点が特徴である。

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この記事の編集者
影山みほ

当サイト『シネマヴィスタ』の編集長。累計10,000本以上の映画を見てきた映画愛好家です。多数のメディア掲載実績やテレビ局の映画番組とのタイアップ実績があります。平素より映画監督、俳優、映画配給会社、映画宣伝会社などとお取引をさせていただいており、映画情報の発信および映画作品・映画イベント等の紹介やPRをさせていただいております。当サイトの他に映画メディア『MIHOシネマ』の編集長も兼任しています。

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