この記事では、映画『セル』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『セル』の結末・ラスト(ネタバレ)
画『セル』の結末では、主人公クレイは、携帯電話から発せられた謎の「パルス」という信号によって狂暴化した人々から逃げながら、息子ジョニーと再会するために旅を続けます。クレイは、仲間たちとともにこの「パルス」の影響を避けるため、できるだけ携帯電話や無線の電波を使わないようにしつつ進んでいました。パルスを受けた人々は理性を失って暴力的になり、集団で行動するようになっています。
ラストに近づくと、クレイはとうとう息子ジョニーがいるスタジアムにたどり着きます。しかし、そこで彼はジョニーも「パルス」の影響を受けてしまったことを知り、大きなショックを受けます。クレイは、ジョニーを救うための最後の手段として、爆弾を使ってスタジアムを破壊し、「パルス」の信号を消し去ることを試みます。この方法で狂暴化した人々を止めようとし、自らもその場に残る決意をします。
爆発のシーンが終わった後、物語はクレイがジョニーと歩く場面に切り替わります。彼は無事にジョニーと一緒に過ごしているように見えますが、次の瞬間、クレイが実際には「パルス」に取り込まれ、他の狂暴化した人々と同じように歩いている姿が映し出されます。これは、彼が爆発で解放されたのではなく、実際には「パルス」の影響から逃れられなかったことを示しており、彼の幻想の中で息子と一緒にいる夢を見ているに過ぎなかったのです。
結末として、クレイは理性を失い、他の「パルス」に感染した人々と同じく、支配された状態で歩き続けることになります。このラストシーンは、パルスによって人々が完全に支配されている様子と、クレイが家族と一緒にいるという幻想が交錯する形で描かれており、観客に強烈な不安と絶望感を残す終わり方になっています。
映画『セル』の考察・解説(ネタバレ)
映画『セル』で人々が狂暴化した理由は?
映画『セル』では、ある日突然、人々が携帯電話から発せられた謎の信号を受けて狂暴化し、理性を失って暴力的な行動に走ります。この信号は「パルス」と呼ばれ、映画の中で明確な原因が示されていません。つまり、エイリアンの侵略やウイルスによる感染など、具体的な原因は不明であり、観客の解釈に委ねられています。信号を受けた人々は、普通の生活をしていたのに、急に本能的な暴力衝動をむき出しにして他者を襲い始めるのです。
映画の主人公クレイも、この異変の原因を知るために仲間と共に逃げながら調査を進めますが、正確な答えにはたどり着けません。また、この信号によって狂暴化した人々は、やがて一つの集団として行動するようになり、無意識のうちに統制されたような動きを見せることから、ある種の「意志」が働いている可能性も示唆されています。
パルスが意図的に送り出されたものであるのか、それとも偶然の産物であるのかは、映画では明かされず、観客に謎と不安を抱かせる結末となっています。
映画『セル』と原作の違いは?
映画『セル』は、原作小説と比較するといくつかの違いがあります。最大の違いは、映画版の結末が原作よりもさらに救いのない終わり方である点です。原作小説では、主人公クレイが息子のジョニーに対してパルスからの解放を試みるという一縷の望みが残されていますが、映画版ではこの希望が消えてしまうような、より暗い結末を迎えます。これは、原作者のスティーヴン・キングが映画の脚本を手掛けたこともあり、原作に近い内容でありながらも、映像としての恐怖を強調するために変更されたと言われています。
また、映画では、狂暴化した人々が集団で動き、統制されたような行動を見せるシーンが増えています。原作では、この「集合的な意志」についても詳細な描写は少ないため、映画版が視覚的に集団の不気味さを強調した形になっています。さらに、赤いフードの男という象徴的なキャラクターが登場し、観客に主人公クレイの幻想や内面の葛藤を暗示する役割を果たしています。
このように、映画と原作は基本的なストーリーラインを共有しつつも、結末や表現方法に異なる点があるのが特徴です。
映画『セル』はなぜ「意味わからん」と言われるのか?
映画『セル』が「意味わからん」と言われる理由の一つは、物語の中で多くの謎が解明されないまま終わってしまうことです。特に、人々が狂暴化する原因である「パルス」について、映画ではエイリアンやウイルスなどの仮説が浮かびますが、結局はっきりした答えが示されないままです。そのため、観客はなぜこのような恐ろしい状況が発生したのかを知ることができず、映画の最後までモヤモヤした感覚が残ります。
また、パルスを受けた人々がまるで意志を持ったかのように集団で行動したり、赤いフードの男という謎の存在が登場したりと、不明瞭な要素が多く含まれています。赤いフードの男は、クレイが描いていた未発表の漫画のキャラクターでありながら、狂暴化した人々の夢にまで現れるため、クレイの心象風景が現実に影響を及ぼしているのではないかという謎が生じます。
こうした意味深な演出が多いため、結末を理解しようとしても、解釈が観客に委ねられている部分が多く、明確な答えを期待した人には「意味がわからない」と感じられるのです。
映画『セル』に続編はあるか?
映画『セル』には続編はありません。物語が謎めいた終わり方をするため、続編を期待する声もありますが、制作されていません。多くの観客は、クレイと息子ジョニーの運命や、謎の信号「パルス」の正体についてさらなる説明があることを期待しています。しかし、現時点で映画の続編の発表や制作の計画はないようです。
映画『セル』の結末では、主人公のクレイがパルスの影響を受けるシーンで物語が終了し、結末の解釈が観客に委ねられる形になっています。原作と比べてもさらに暗い終わり方が強調されているため、続編がなくとも、この終わり方自体がスティーヴン・キングの意図する恐怖を象徴しているとも考えられます。
なお、「ザ・セル2」(2008)という作品は存在しますが、これは2000年公開のホラー映画『ザ・セル』の続編であり、まったく別の物語です。したがって、『セル』の世界観や登場人物の続きが描かれることはありません。
映画『セル』に出てくる赤いフードの男が意味するものとは?
映画『セル』で登場する「赤いフードの男」は、物語の中で重要な象徴となっています。この男は、主人公クレイが描いた未発表の漫画のキャラクターであり、彼の想像上の存在のはずですが、狂暴化した人々の中でこの男の姿が目撃されます。さらに、狂暴化した人々が「赤いフードの男」を夢に見るなど、現実と幻想が入り混じっているような現象が起こります。これは、クレイがパルスによって狂った世界において、現実と自分の想像が重なり合ってしまった可能性を示唆しています。
赤いフードの男の存在は、クレイが実際に生きている世界が「現実なのか、それとも自分の頭の中の幻想なのか」を観客に問いかけています。また、赤いフードの男がクレイの内面に潜む恐れや、内なる悪の象徴であるとも解釈されています。映画ではこの男の正体や意図について明確な説明はありませんが、クレイの心の闇や不安が映し出されている存在とも考えられ、彼の無意識が恐怖として形をとったとも言えます。
このように、赤いフードの男は単なるキャラクターを超えて、クレイの内面世界と混ざり合った不気味な存在として描かれています。
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