この記事では、映画『タクシードライバー』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『タクシードライバー』の結末・ラスト(ネタバレ)
主人公のトラヴィス・ビックルは、ニューヨークでタクシードライバーとして働いていますが、孤独で心が不安定な状態です。彼は、街の中で見かける犯罪や売春に対して強い嫌悪感を抱いており、特に12歳の少女アイリスが売春を強制されていることに大きなショックを受けます。彼はアイリスを救うことを自分の使命だと考えるようになります。
物語のクライマックスでは、トラヴィスはアイリスを救うために行動を起こします。彼は銃を手に入れ、売春宿に乗り込んで、そこで働く人々を次々と撃ち倒します。激しい銃撃戦の末に、トラヴィスは重傷を負いますが、アイリスを救い出すことに成功します。この暴力的な行動は一部の人々から「少女を救った英雄」として称賛され、彼の行動は新聞で取り上げられます。
その後、トラヴィスは再びタクシードライバーとして働き始めます。アイリスの両親からは感謝の手紙が届き、彼は一見、普通の生活に戻ったように見えます。しかし、映画の最後のシーンでは、トラヴィスがタクシーのミラーに映る自分を確認する場面があり、これが彼の内面にはまだ問題が残っていることを示唆しています。彼の心の中には、依然として暴力や不安定さが潜んでおり、再び同じような行動に走る可能性が残されているのです。
この結末は、トラヴィスが一時的に社会から称賛されたとしても、彼の心の深い問題は解決されていないことを暗示しています。彼の暴力的な衝動や孤独感は完全には消えておらず、物語はその不安定さを残したまま終わります。
映画『タクシードライバー』の考察・解説(ネタバレ)
映画『タクシードライバー』はなぜ気持ち悪いと言われるのか?
映画『タクシードライバー』が「気持ち悪い」と言われる理由は、主人公トラヴィス・ビックルの精神状態や、映画全体に漂う不安定さと不気味さにあります。トラヴィスは、孤独感や疎外感に苦しむ元ベトナム帰還兵であり、彼の視点から描かれる世界は暗く、荒廃しているものとして描かれます。映画全体を通して、ニューヨークの夜の街が舞台となっており、そこには暴力や犯罪、汚職が溢れています。トラヴィスは、こうした社会に対して強い嫌悪感を抱き、次第に自らを「街を浄化する存在」として自覚するようになります。
トラヴィスが徐々に精神的に崩壊していく様子が、観客に不安や違和感を与えます。彼は、心の中で孤立し、誰とも繋がれないまま、過激で暴力的な行動に走るようになります。特に、彼が銃を手にし、モヒカンに髪を刈り、最終的には大量殺戮を行うまでの過程は、視聴者に強い不快感を与える場面です。
また、トラヴィスの感情や行動が常に予測不能であり、映画全体に不安定さが漂っています。彼の内面の葛藤や暴力への傾倒が、観客に「気持ち悪い」という感情を抱かせる大きな要因となっており、映画の暗く退廃的な雰囲気がそれを強調しています。
映画『タクシードライバー』の最後で、トラヴィスは死亡している?
映画『タクシードライバー』の最後で、トラヴィス・ビックルが死亡しているかどうかについては、映画ファンの間で議論が続いています。表面的な物語では、トラヴィスは生き残っているように描かれています。彼は最後に、アイリスという少女を売春宿から救うために暴力的な行動に出て、数人を殺害しますが、最終的には警察が到着し、トラヴィスは重傷を負いながらも生き延びます。
その後のシーンでは、トラヴィスが英雄として新聞に報じられ、アイリスの両親から感謝の手紙を受け取るなど、彼が社会的に称賛される様子が描かれます。また、彼は再びタクシードライバーとして働き、ベッツィーという女性とも再会します。この描写は、彼が新しい人生を歩み始めたかのように見えます。
しかし、多くのファンや批評家は、この結末がトラヴィスの妄想や死後の幻想である可能性があると考えています。彼が大量殺戮を行った後、警察が到着するまでの流れや、その後の彼に対する称賛は、現実離れした展開であるためです。また、トラヴィスの精神状態や妄想癖を考えると、彼が重傷を負った後に意識を失い、最後のシーンは彼が見ている幻想に過ぎないという解釈もあります。
結論として、トラヴィスが本当に生き残っているのか、それとも死後の妄想なのかは明確には示されておらず、観客に解釈が委ねられています。
映画『タクシードライバー』は、怖い映画?
映画『タクシードライバー』は、一般的なホラー映画のように「怖い」と感じるものではありませんが、心理的な恐怖を感じさせる映画です。主人公トラヴィス・ビックルの精神的な崩壊が描かれ、彼が次第に暴力的で危険な行動に走る過程が不気味であり、観客に強い不安感を与えます。
トラヴィスは孤独で、周囲の人々と上手く関われず、心の中で徐々に鬱屈した感情を膨らませていきます。彼の考え方や行動は予測がつかず、その不安定さが物語全体に緊張感を与えます。特に彼が銃を手にし、周囲の人々に敵意を抱き始めるシーンは、暴力がいつ爆発するかわからない恐怖感を生み出します。
また、映画の舞台となる1970年代のニューヨークも、不気味で不安定な空気を醸し出しています。夜の街には犯罪や暴力が蔓延しており、トラヴィスはその混沌とした世界に引き込まれていくようです。街の雰囲気やトラヴィスの心理的な不安定さが相まって、視覚的にも精神的にも恐怖を感じる映画となっています。
映画は直接的な恐怖よりも、内面的な恐怖や不安を描いており、観客に心理的な負担を与える作品として評価されています。そのため、ホラー映画とは違った形で「怖い」と感じさせる作品です。
映画『タクシードライバー』は、実話を基にしている?
映画『タクシードライバー』は、直接的な実話に基づいた作品ではありませんが、1970年代のアメリカ、特にニューヨークの社会情勢や雰囲気が大きく影響を与えています。脚本家のポール・シュレイダーが描いたトラヴィス・ビックルというキャラクターは、当時の社会の中で孤立し、疎外感を抱く人々の象徴として描かれています。シュレイダー自身も孤独や絶望を感じていた時期があり、それがトラヴィスというキャラクターの誕生に影響を与えたと言われています。
映画の背景には、当時のニューヨークの治安の悪さや犯罪の多発、ベトナム戦争の帰還兵が直面していた社会問題が反映されています。トラヴィスは元ベトナム帰還兵であり、戦争から帰国した後、社会にうまく適応できず、孤独と疎外感を抱えている人物として描かれています。こうした要素は、当時のアメリカ社会において実際に多くの人々が直面していた問題であり、映画のリアリティを高めています。
また、映画に影響を与えた実際の事件として、1970年代に起こった様々な政治的・社会的な事件が挙げられます。例えば、映画が公開された後に起きたジョン・ヒンクリーによるレーガン大統領暗殺未遂事件では、ヒンクリーがこの映画に影響を受けたと語っています。彼は、映画の登場人物であるトラヴィスと自分を重ね合わせていたとされ、この事件は映画と現実の交錯を象徴するものとなりました。
映画『タクシードライバー』の最後はトラヴィスの妄想?
映画『タクシードライバー』の最後に描かれるシーンが、トラヴィス・ビックルの妄想や幻想であるかどうかについては、ファンや批評家の間で議論が続いています。最後のシーンでは、トラヴィスが売春宿での大量殺人を行った後、警察に発見されるものの、生き残り、英雄的な扱いを受ける描写が続きます。彼の行動は新聞で称賛され、アイリスという少女も家族のもとに戻り、トラヴィスはタクシードライバーとして再び仕事に戻ります。
しかし、この展開は非常に都合の良いものであり、これまでのトラヴィスの人生や行動から考えると、現実とはかけ離れているようにも見えます。彼が孤独と絶望の中で暴力的な行動に走った後、急に社会から受け入れられ、称賛されるというのは非現実的であり、あまりにも劇的な変化です。このため、多くの観客や批評家は、最後のシーンがトラヴィスの妄想、あるいは死後に見た幻想である可能性が高いと考えています。
さらに、トラヴィスの精神状態が物語を通して不安定であり、現実と妄想の境界が曖昧になっていることからも、最後のシーンが彼の頭の中で作り上げられた幻想である可能性が示唆されています。彼は長い間、自分が「街を浄化するヒーロー」になることを夢見ており、この願望が最後のシーンで具現化されたと考える人もいます。
最終的に、この解釈は明確にはされておらず、映画のラストシーンは観客の想像に委ねられています。
映画『タクシードライバー』のラストはどう解釈すればいい?
映画『タクシードライバー』のラストシーンは、非常に象徴的であり、複数の解釈が可能です。まず、トラヴィス・ビックルが大量殺人を犯した後に警察に救出され、英雄視される描写があります。彼は新聞で称賛され、売春宿から救出したアイリスの家族から感謝の手紙を受け取り、再びタクシードライバーとして生活を続けるように見えます。この表面的な解釈では、トラヴィスは過激な行動によって一時的な救済を得たように見えます。
しかし、トラヴィスが社会的に受け入れられるヒーローになるという結末は、あまりに劇的で非現実的です。そのため、多くの批評家は、このラストシーンが実際にはトラヴィスの妄想や幻想であると解釈しています。彼は、自分が街を浄化する英雄になるという願望を抱き続けており、この幻想が彼の頭の中で具現化されたと考える説があります。特に彼の精神状態が不安定であることを考えると、最後のシーンは現実ではなく、彼が死に際して見た幻想である可能性が示唆されています。
また、ラストシーンでは、トラヴィスが鏡に映る自分を再び確認する瞬間があり、これは彼がまだ内面的な不安や暴力性を抱えていることを示唆しています。彼の表面的な救済にもかかわらず、彼の内なる問題は解決されておらず、再び同じような行動を繰り返す可能性があることを示唆しています。
このように、映画のラストはトラヴィスが救われたのか、再び暴力に向かうのかという解釈が二分されており、観客に深い余韻を残す結末となっています。
映画『タクシードライバー』のラストで車のミラーにトラヴィスが映る意味とは?
映画『タクシードライバー』のラストシーンで、トラヴィス・ビックルがタクシーのミラーに自分を映すシーンは、彼の内面的な不安定さや、解決されていない問題を象徴しています。このシーンは、彼が自分自身を見つめ直す瞬間であり、外見上は穏やかで冷静に見えるものの、彼の内側では再び暴力的な行動に走る可能性が残っていることを暗示しています。
トラヴィスは物語を通じて、孤独と社会からの疎外感に苦しみ、暴力的な手段で「街を浄化する」ことに固執していました。彼の行動は、売春宿での大量殺戮で頂点に達し、彼は一時的に英雄として称賛されるような状況に置かれます。しかし、ラストのミラーに映る彼の姿は、彼がまだ心の中で問題を抱えており、完全に「救われた」わけではないことを示しています。
ミラーに映るシーンは、自己反省や内省を表す一方で、トラヴィスの内面に潜む不安や暴力性が依然として存在していることを示唆しています。彼が表面的には社会に受け入れられたように見えるものの、根本的な孤独感や絶望は解消されておらず、同じような行動を繰り返す可能性があるのです。このシーンは、彼の不安定さが依然として残っていることを視覚的に伝える重要な演出です。
映画『タクシードライバー』は、どんな話の映画?
映画『タクシードライバー』は、1970年代のニューヨークを舞台に、孤独なタクシードライバー、トラヴィス・ビックルが社会から疎外され、次第に精神的に不安定になっていく過程を描いた物語です。トラヴィスは元ベトナム帰還兵で、不眠症に苦しみながら夜のニューヨークでタクシードライバーとして働いています。彼は街の中で蔓延する犯罪、売春、腐敗を目にし、次第に「この街を浄化する」という歪んだ使命感に駆られるようになります。
トラヴィスは自分を孤立させ、社会や他人と繋がることができず、疎外感を深めていきます。彼は政治活動をしている女性ベッツィーに好意を抱きますが、彼女との関係もうまくいかず、さらに絶望を感じます。その後、彼は12歳の少女アイリスが売春宿で働いていることを知り、彼女を救おうとする強い決意を抱きます。
最終的に、トラヴィスは自分を武装し、売春宿の経営者や関係者を銃で襲撃し、アイリスを救い出すことに成功します。この行動によって、トラヴィスは一時的に「英雄」として称賛されますが、彼の暴力的な行動は内面的な問題を解決するものではありません。映画は、彼の孤独や疎外感が完全には消え去らず、再び暴力に走る可能性があることを暗示する形で終わります。
映画『タクシードライバー』でトラヴィスがモヒカンにする意味とは?
映画『タクシードライバー』でトラヴィス・ビックルが自分の髪をモヒカンに刈り込むシーンは、彼の精神状態の変化と、暴力的な行動に走る決意を象徴しています。モヒカンヘアは、かつて戦士が戦いに向かう際に採用する髪型として知られており、トラヴィスもまた自分がこれから行う暴力的な行動に備えて「戦士」になる準備をしていることを示しています。
トラヴィスは映画を通して、孤独感と疎外感に苛まれ、次第に社会への不満や怒りを募らせていきます。彼は自らを「街を浄化する存在」として認識し、ニューヨークの腐敗した部分、特に売春や犯罪に対する強い憎悪を抱いています。彼の髪型をモヒカンにする行為は、彼がこれまで心の中で抑えていた暴力性を解放し、最終的に自らを「浄化者」としての役割に向けて準備していることを意味します。
このモヒカンスタイルは、トラヴィスが精神的に「戦闘モード」に入ったことを視覚的に表現しており、彼の内面的な暴力性や自己破壊的な衝動を象徴しています。このシーンの後、彼は銃を持って売春宿に向かい、アイリスを救うために一連の暴力的な行動を実行します。
モヒカンヘアは、トラヴィスが社会から完全に逸脱し、現実と乖離した自分自身の正義感に基づいて行動することを決意したことを示す重要な象徴です。この髪型の変化は、彼が自らを「戦士」として認識し、暴力で解決を図る決定的な転機となっています。
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