この記事では、映画『逆転のトライアングル』の結末・ラストをネタバレありで解説し、この映画に関する疑問や謎を分かりやすく考察・解説しています。
映画『逆転のトライアングル』の結末・ラスト(ネタバレ)
物語の舞台は、最初は豪華なクルーズ船です。そこには、モデルのカールとヤヤというカップルや、お金持ちの乗客たちが集まっていました。彼らは船の中で豪華な食事を楽しんだり、贅沢な時間を過ごしていました。しかし、ある日、船が嵐に遭い、乗客たちは船酔いで嘔吐したり、船内が混乱に陥ります。
さらに、船は海賊に襲われ、最終的に沈没してしまいます。その結果、カールやヤヤ、他の乗客たち、そして船員の一部が無人島に漂着してしまいます。ここから物語の舞台が変わり、これまでの豪華なクルーズ生活とは全く異なるサバイバル生活が始まります。
無人島では、これまでの社会的な地位やお金は全く役に立ちません。豪華なクルーズ船での生活では、乗客たちは船員に指示する立場でしたが、島では彼ら自身が食料を探したり、火を起こしたりしなければならず、全く役に立たないことが分かります。その中で、一人の掃除婦だったアビゲイルという女性が、サバイバルスキルを持っており、彼女が食料を調達できる唯一の人物であることが明らかになります。
アビゲイルは、そのスキルのおかげで島での「リーダー」となり、これまでの社会とは逆の権力関係が生まれます。彼女は、これまで船でお客様だった人々を従わせ、自分が指示を出す立場になります。
物語の最後では、ヤヤとアビゲイルが島を探検していると、リゾート施設のような建物を見つけます。これは彼らが孤立した島にいるのではなく、実はすぐ近くに文明があることを示しています。ヤヤは、この発見に喜びますが、アビゲイルは複雑な表情を浮かべます。もし文明社会に戻れば、彼女の「リーダー」としての地位は消え、再び下働きに戻ることになるからです。
ラストシーンでは、アビゲイルが大きな石を持ち、ヤヤに近づく場面で終わります。アビゲイルは、ヤヤを殺してでも、島での権力を維持しようとしているかのように見えますが、実際に何が起きたのかは描かれません。この結末は、観客に人間の欲望や権力に対する執着を考えさせ、物語の余韻を残します。
映画『逆転のトライアングル』の考察・解説(ネタバレ)
映画『逆転のトライアングル』は嘔吐シーンが汚い?
映画『逆転のトライアングル』には、特に印象的な嘔吐シーンがあります。このシーンは、豪華なクルーズ船でのディナー中に起こります。乗客たちは高級な料理を楽しんでいますが、突然嵐が襲い、船が激しく揺れ始めます。この揺れによって、乗客たちは次々と気分が悪くなり、吐き気を催します。
このシーンでは、乗客たちが次々に嘔吐し、船内の様々な場所が汚れてしまいます。さらに、船のトイレも溢れ出し、非常に汚い状況が描かれます。この描写はとてもリアルで、生々しく、観る人によっては不快感を覚えるほどです。監督は、このシーンを通じて、豪華なクルーズ船という表面的な優雅さと、乗客たちが持つ本質的な脆さを対比させています。
この嘔吐シーンは、物語の中で重要な転換点となっており、登場人物たちが持つ上流階級の虚飾が崩れ去る瞬間を象徴しています。汚い描写が強調されることで、観客に強烈な印象を与え、社会的な階級や富の無意味さを風刺的に表現しているのです。
映画『逆転のトライアングル』で、ヤヤは最後に死亡する?
映画『逆転のトライアングル』のラストで、ヤヤがどうなるかははっきりとは描かれていません。物語の終盤、登場人物たちは無人島に漂着し、そこでの生活を余儀なくされます。この環境では、これまでの社会的地位や富は全く意味を持たず、生き延びるためのスキルが重要になります。
ヤヤは、モデルとして成功し、贅沢な生活を送っていましたが、無人島ではその経験が何の役にも立たず、生活の知恵やサバイバル技術を持つアビゲイルという女性に頼らざるを得なくなります。物語の最後、ヤヤはアビゲイルと二人で島を探索し、アビゲイルがヤヤに対して嫉妬心や憎しみを抱いていることが示唆されます。
アビゲイルはヤヤを殺そうとしているかのような態度を見せ、ヤヤが逃げられない状況に追い込まれます。しかし、実際にヤヤが殺されたかどうかは描かれておらず、映画はその緊張感の中で終わります。ヤヤの運命は観客の想像に委ねられており、彼女が生き延びたのか、命を落としたのかは明確にはされていません。この結末は、人間関係の複雑さや、環境によって人の価値観や行動がいかに変わるかを示しています。
映画『逆転のトライアングル』のセリフ「雲の中」の意味とは?
映画『逆転のトライアングル』の中で、「雲の中」というセリフは、物語のテーマを象徴する重要な意味を持っています。この言葉は、船の中で哲学的な議論を交わす場面で使われ、登場人物たちが自身の存在や社会的な役割について考えさせられるシーンです。
「雲の中」という表現は、物事の本質や真実が曖昧で見えにくい状態を指しています。登場人物たちが豪華なクルーズ船で贅沢な生活を送る一方で、彼らの価値観や社会的な地位は、実は雲の中のように不確かで無意味なものであることを暗示しています。彼らは富や名声に支配され、真実の自分を見失っているということです。
また、無人島に漂着した後、彼らは現実の厳しさに直面し、これまでの価値観が全く通用しない状況に置かれます。この時点で「雲の中」のような曖昧な状態から抜け出し、本当の自分たちと向き合うことを余儀なくされます。このセリフは、映画全体を通して、見かけだけの価値観や社会的な役割の虚しさを表現し、観客にそれを問いかける重要なテーマとなっています。
映画『逆転のトライアングル』でハエが飛んでいるシーンの意味とは?
映画『逆転のトライアングル』でハエが飛んでいるシーンは、登場人物たちの堕落や腐敗を象徴する意味があります。ハエは、腐ったものや汚い場所に集まる昆虫として知られており、物語の中では、人間の醜さや不潔さを示すメタファーとして使われています。
特にクルーズ船でのディナーシーンで、乗客たちが嘔吐し、船内が混乱に陥る場面でハエが描かれます。このシーンでは、豪華なクルーズという表面的な美しさや贅沢さが崩れ、乗客たちの本質的な弱さや醜さが露わになります。ハエは、この堕落した状況を強調し、彼らの生活がいかに偽善的で脆いものであるかを暗示しています。
さらに、無人島に漂着した後のシーンでもハエが登場し、登場人物たちが文明社会から切り離され、生存のために互いに争う姿を象徴的に表現しています。ハエは、彼らの身の回りにある不快な現実を反映し、贅沢な生活や社会的地位が無意味であることを示しています。
このように、ハエのシーンは、登場人物たちの外見上の美しさや豊かさとは裏腹に、内面的な醜さや腐敗を表現しており、物語全体の風刺的なテーマを際立たせる役割を果たしています。
みんなのコメント
ヤヤのラストの救いの言葉は悲劇をもたらしたと思います。
また、劇中に何度も出てくる「雲の中」
アメリカのシンガーソングライター、
ジョニー・ミッチェルの名曲
『Both Sides, Now(邦題:青春の光と影)』
一番の歌詞に「雲の中」が出てきます。
これではないでしょうか?
地上から見たら綿菓子のように綺麗で優しそうな雲も、その中に入れば現実は氷の粒と嵐の塊。
世の中のものは、見た目と現実と、いつも2面がある。
この曲の1番の歌詞に影響を受けた「雲の中」だと想像します。